うつ病の過去を公開します。でも起業家にだってなれた。大丈夫、人は変われます。

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まえがき

こんにちは。こんばんは。

いつも来てくれてありがとう。

うつ病から起業家へ。

成功したい学生・フリーターの味方ゆっけです。

記事に関してなのだけどまず、今回は僕が最近書いた記事ではありません。

2015年11月6日僕のFacebookに投稿した記事を今回転載して記事を作っています。

内容的には僕がうつ病だった時の話です。若干重いかもしれいない(ポップに書いてるけどね!)。

うつ病を乗り越えたて当時に書いた文章のほうがリアルな心情を書けているので、そのまま昔の投稿をこちらのホームページでもシェアします。

ただ単に昔の記事をシェアして、自分が不幸だった自慢をしたいのではなく今回の記事では

人は変われる
人はなんにだってなれる

ということを伝えたいです。

詳しくは本編で書いてますが僕はむかし鬱でした。『自分になんて価値は無い』って思っていたのですが

今ではまだ小さいながら個人事業をやっていたり自信があって、人にも恵まれて好きな事やって、本当に楽しい日々を送っています。

今は個人事業主だよー

って伝えると

「うわあすごい」だとか「自分にも才能があればなあ」だとかそんな言葉をいただくことが多いんだけど

そういう反応よりもっと欲しい反応があるんだけどなあぁ、って毎回思うのです。「すごい」と言われて嫌ではないんだけどもそれよりも何百倍も

「え!どうやったらそんな風になれるの!」
「私にも教えて教えて~!!」とか
「いいね!俺も負けじと頑張るよ!!」

みたいな明るい感じの返しが来てくれると嬉しいんです。だってみんなにも本当は力があるのにそれを信じられてない、っていうのがすごくもどかしいから。

僕自身がすごいって言われて崇め奉られるよりも、目の前の可能性ある人と今後何かできたほうがずーっと楽しいのになあと感じるのです。

みんなだってできる。
あなたにだってできる。

人は変われる。
あなただって変われるんだよ。

そういう想いを伝えたくて、不幸自慢でもなんでもなく、このサイトにうつ病から起業家に至るまでのストーリーを書いていきます。

社会的にはまだまだ小さい一(いち)個人事業主ですが伝えます。起業家山本悠介にもそんな時期はあったんだなあということと

自分も変われそうだ

ということを感じてもらえたら嬉しいです。それじゃあ僕の過去についてこれから話していきますね(^-^)/

人は変われる。ゆっけの歴史

僕もそうでした
子どもの時傷つけられてきたあなたへ

お待たせしましたこんばんは、山本です。こんな話誰が聞きたいんだっ、という迷いなどで躊躇っていたけど、書いちゃいました。

とてもとても長くなりました。

さらに今回は子ども時代に苦しんだ体験談を書いているだけであまりタメにならないしダルいと思うけど、こんな人もいるんだなって知ってもらうために書きました。同情はいらないです。

まず改めて、「アダルトチルドレン」ってなんなの、って話だけど、これは親だったり愛情だったり何かが欠けた「機能不全家庭」で育ち傷を背負っているために、社会で生きづらさを感じている人のことをいうのね。

子どもっぽい大人ではないから注意。僕もその一人で、特にケアテイカー(親を精神的に支える役)だったわけですが、子ども時代、なぜ傷つきどう苦しんでいたのかを話していこうと思います。

僕は1995年生まれ。けっこうやんちゃでめだつ存在だった僕はすくすくと育ち、楽しく幸せな日々を送っていました。

事が起こったのは小学校1年生の時。父の会社が倒産しました。そして社長だった父と連帯保証人の母は借金を背負いました。

その後の生活を立て直すため、また性格の不一致などにより親は離婚した、らしいです。この時僕は母親に引き取られ、大切な家族の一部、父を失いました。

また離婚後の生活は大変なものでした。特に母にとっては。

借金などで貧困生活を強いられ、仕事と家事に追われ、金銭的にも時間的にも母の手ひとつ、本当に大変だったと思います。

正直厳しい現実をよく理解出来てない未熟で幼い僕でしたが、ひとつの決心をしたことを覚えています。

「自分が強くなろう、親を支えてあげよう」と。

母親を支える目的で(支えられてたかはわかりませんが)親の悩み相談,気遣いを続けていたことで、初めは良いことがありました。周りの友達より大人びた考えを持て、そんな自分に誇りを持てたことです。

昔から難しい問題を考えられたり、親以外にも先生友達色んな人に頼られるなど、人の役に立てる自分が好きでした。

「これは男子には言えない話なんだけど…」と女子に恋愛相談されたり(男子だぞ、グレーゾーンちゃうぞ!)

「お前が不良と陰キャラの架け橋になってくれ」的なことを中学の先生に言われたり(色んな意味で、、グレーゾーンちゃうぞ!!)

などなど、楽しい思い出も?たくさんできました…笑

ただね、大人びていられたこと、周りに気を遣え頼られたことには良くない面もあったのです。孤独になりました。

特に孤独を感じるようになった大きなきっかけが2つありまして、それは小学5年生の時と、高校1年生の時に起きました。

実際小学4年生までは、離婚された後でも、上で言ったように、大人びてかっこいい自分に誇りを持っていたし、まだ子どもらしく自己中心的な部分も多かったんです。

ただ、小学5年の時に母親と衝突する日々が増え、それは変わりました。いわゆる反抗期だったのでしょうが。正直何が原因で毎回叫んで喧嘩していたかははっきり覚えていません。

しかし、当時自分はむやみに怒ったことはないし、喧嘩の際には毎回ちゃんと理由があったし、口喧嘩で負けたこともないと思っています。

母は昔から本当に真っ直ぐで裏表の無い人でした。ただ、それゆえに子どもっぽい部分も多くあったのです。あまり人の言うことは聞かない、面倒な事はすぐに投げる。

「インターネットの使い方ちょっと勉強してみたら?-いい!-でももう少し知ったほうがいいと思うし教えるよ-いいんだぁ!めんどくせっ」

このような会話が今まで何度も何度も。少しでも論理的になるといつも投げ出されます。最後はいつも僕が飲み込むしかありません。

ただしかしこれは僕中心の視点で、僕のおせっかいの部分,汲み取れなかった母なりの理由もあったのかもしれません。自己中心なのも今ならわかってます。ただこの時の自分は

「親は自分のことをわかってくれないんだ」

そう解釈をし、母親との喧嘩を終えることにしました。もっとお互いを理解し反抗期を終えられれば良かったのでしょうが、出来なかったのです。僕が先に諦めてしまったのです。

そして前にあった自己中心の感覚はこの反抗期以降、全く逆の母も含め他人中心の思考に移っていきました。母親で駄目なら他の他人も全て駄目。そう無意識的に決めつけていたのでしょう。親の存在は大きいのです。すべての子どもにとって。

他人を説得するよりも、他人に合わせていくように。ほとんどのことを他人他人他人、他の人のことを考え、他の人はどうやったら喜んでくれるのか他のひとなら…などとばかりを考えるようになりました。

そして自分のことを考える時間は減り、自分という存在の価値も下がっていく一方。

他人に依存するように、他人の幸せが自分の幸せに、自分自身がどうでもいいように。(これを共依存といいます)

自分のことは自分自身で。自分は頼られてなんぼ。他人に甘えちゃいけない。こうして「強くなる」の意味も変わっていってしまったのです。

また母と僕の親子関係も時点で逆転したのかな、と思います。少なくとも僕の中では。

この小学5年生以降、親に精神的に頼ったこと、心から甘えられたことは一度もありません。そして母の「今日飲み会行ってもいい?」などの要望に対し、常に僕が「いいよ」と合わせるように。

(許可を与えるのは親なんじゃないか。なんで俺が許す側なんだ。)
そう思いながら家に一人。親という上の立場から与えられる愛情は感じられなくなりました。精神面で母は僕の子どもになったのです。

ただ、内面的な変化はあったものの、周りには反抗期の小5以前からの友達が中学校までいて環境的に支えがあったのでまだ全然平気でした。共依存状態の自分の異常さに気づいてなかったのです。

ではいつ気づいたのか。本格的に自分の異常さに気づいたのは、その環境が変化した、高校入学後すぐのことです。

仲の良い小学校からの友達は高1のクラスにはいませんでした。温かかった環境から新たな環境に入りこもうとしたとき、自分はうまく入り込めませんでした。

ここはうまく言えないところなのですが、何か高校の友達は、将来を考えず今を遊び騒いでいるというか、自分のことばっかりを考えている、そんな風に見えたのでした。

「どうしてこの人達はこんなに自分のために生きていけるんだろう」

そう感じたのは今まで他人のことばかり考えて他人を思い他人のために生きてきた証拠でしょう。

高校に入る前から、人の役に立てる人になりたい!などと将来について考え始め、気合い満々で入学した僕にはショックショックでした。

この時もうひとつ、さらに追い打ちをかける状況にも気付きます。

あれ、誰に頼ればいいんだろう

そうです。初めて遭遇した大きな危機。それに対する対処法もわからなかったのです。

自分が強くならなきゃ。そう決めて他人への頼り方の知らない自分。親から愛情をうまく受け取れず、人から好意を貰うことさえ怖かった自分。頼れも助けられもできませんでした。

高校入学に際し引っ越した先が母の彼氏の家の近く。母は以前にも増して家をあけるように。

部活,遊び意外には家にいた兄も就職先の寮に住み始め、ますます一人の時間と悩みの時間が。

学年や日々を重ねるほどに苦しさは積み上がり、孤独感もつのりました。

言えば他にも本当にたくさんあるのですが、そろそろ気分が沈むだけなのであと一つ、大きな出来事これだけを共有させてください。

それは一年間の浪人生活中にあった「どうしてこんなに複雑なんだろう」と死ぬほど悩んでいた時でした。

その複雑さとは自分を取り巻く環境、そしてなんといっても自分自身のことです。

母は彼氏、離婚した父は再婚していて子どもも。馴染めない学校や相談できる相手とする勇気が自分がいない状況。子どもっぽい母への毎日の気遣い。

ずっとずっと闇の中にいたような感じで、学校では笑っていても家に帰れば何度も何度も泣いていました。

そんな複雑な環境で複雑に捻れた自分を消したくて死のうともしていた時、軽く酔っていた親が言いました

真っ直ぐに育ってくれてありがとう。
お母さんは本当に嬉しいよ

幸せそうな笑顔に涙まで流して

普通なら嬉しいでしょう
自分は良い子に育てたんだと
ホッとするでしょう

ただ、僕は普通じゃなかったのです
良い子を演じ過ぎて、後悔したのです

親は自分のことをわかってくれていないんだ

また、似たような気持ち

聞いた瞬間は頭がまっ白になりました

ただ、苦しみ悲しみは前とは段違いです
こんなにこんなに複雑な自分に悩んでいる自分に言うなんて。それも、一番理解して欲しくて助けて欲しくてたまらない親である母に誤解されているなんてわかってもらえていないなんてでもそれは勝手に自分で苦しんで素直に親に助けを借りれず笑顔を作って見せてきた自分のせいで母が見抜けないのも自分のせいででも本当は気づいててくれてもいいんじゃないかでも…こういったジレンマの中、結局は自分が悪いと責め続け

もう寝るね
と笑顔で部屋に入り一人で枯れるほど泣いた、傷付いた日は忘れられません。

これが今までで一番つらかった日かなきっと

そして今僕は浪人生活を終え親元を離れ大学生として一人暮らしをしています。

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当時のあとがき

はい、先ほども言った通り他にも当時の状況や死にたくなったエピソードとかてんこ盛りなんですが、もう止めときます。
同情心を煽るのが目的じゃないからね、うん。お母さんも決して悪者ではないからね。違うからね!

この投稿を書いた理由、それは傷付いている子どもがこの世の中にはいるということ。その現実を知ってもらうこと。

僕とは状況や傷の大小は違うけど、親や環境によって傷つけられてきた、っていう人は多いでしょう。ただ、それを(特に傷の深い人は)言えずに陰で悩んでいる人もまた多いのかな、と思って。

僕も深く深く、傷を負った一人です。ただ、それを乗り越えた人でもあります。乗り越えた今、自分はとても幸せです。

親元を離れて、母親の愛情を感じることが出来るようになりました。離れて今まで人生と母を客観的に見ることで過去の幸せに気づきました。

子どもの頃未熟で厳しい現実をよく理解してなかったかは、あまり苦しくなかった。そう書きましたが一番の理由はこれじゃないんです、確実に。

確実にこれは母親が子どもの僕に苦しさを感じさせないくらい、本当に本当に頑張ってくれたからなんです。

他にも、当時感じられていなかっただけで、昔から母は愛情を僕にくれていたんだと、愛情を感じられる今ならわかります。ただ、自分の理想とは違っただけで。完璧な愛情はないだけで。

僕は本気で死のうと思うほど、不幸な世界に生きてきた。ただ、同時にその不幸な世界の周りには幸せな世界が広がっていた。

そんな人ってなかなかいないんじゃないかなーー、って本気で思ってます。
インターネットでアダルトチルドレンの話見ててどう考えても駄目で正直可哀想だな、って思うしかない人もいるもんね。

確かに世界一不幸な世界で生きてきて
確かに世界一幸福な世界で生きてきた

そんな自分だからこそ発言をしなきゃ
って勝手に使命感を持っての投稿でもありました。

せっかく勇気を出して投稿したのだから、ここでもうひとつ勇気を出してお願いします。

この投稿のことを世の中に広めてほしいです

この記事をそのまんまシェアしてほしいし、長いから要所要所伝えるのでもいいですし、「こんな人がいるよ」って紹介するのでもいい

とにかくこの投稿で何か響いたり、周りに僕が必要そうな人がいそうな時すぐ伝えてくれたら、嬉しいです。

もちろん、今後自分自身でもいろいろ伝えていくし、自分の体験を通して思ったことや、辛いことの乗り越え方とかをシェアしていくつもりです。

明日は今日言い切れなかったことを軽くあとがき的なもので書きます

長文はここで終わりだよ、おめでとう。ここまで読んでくれた君はとっても良い人だろうね、、きっと(笑)

まあでも冗談抜きで嬉しいです長くなってしまいましたが

ここまで読んでくれて
本当にありがとうございました!

本当のあとがき

どうだったでしょうか。

以上が僕の歴史その①といった感じです。

このサイトでの投稿をきっかけに改めて僕自身も読み直したのですが特に当時と変わったなあ、と思う事はあの文章を発信する意味について。

もちろん当時と変わらず

“大変な思いをしている人がいるんだ”ということを知ってもらうことと、“大変な思いをしているのは自分だけじゃないんだ”ということを知ってもらいたいのだけどそれに加えて

“人は変われる”

というさらに先のことまで考えて伝えられるようになったのは一つの進歩かなあ、と思います。

未来を恐れず今を生きるという考え方で前向きになることができました。

人それぞれ幸や不幸、大変さとかの程度は違うけれど今よりもっと良くなりたいのなら行動をしていかなければ変われないからさ

苦しいことを乗り越えるのは大変だけど大変だからこそこのサイトを使ってほしいし一緒に進んでいきたいな、って思ってます。

次はね、じゃあ僕はどうやってうつ病を越えたのか、っていう部分について話をすすめていくよ。

何十何百とネットで慰めの言葉を求め、幾度となく偉人の名言を浴びても心が救われず、何年間も鬱だった僕が

たった2週間で、その間に起きたたった一瞬の出来事で元気になってしまうという人生を変えた出会いについて書いていきます

読んでもらえばあなたにも元気になる方法を知っていけます。このサイトでどんどん進化していこう。それじゃあ次回、

人生を変えたボランティア。自分を変える方法を伝えます。

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